人に嫌われることは怖いけど、もっと大切なこともある
今回は僕の仕事観について触れてみたいと思います。
僕は小さい頃から、人に嫌われることが怖くて、嫌われないように生きてきました。と、いうのも末っ子故に周りの顔色を必要以上に窺って育ってきた覚えがあります。
様々な経験をする上で全員に嫌われないようにするってのはもしかしたら、難しい(というよりほぼ無理な)んじゃないか、と感じ始めました。
それを一番体感したのは副主将として取り組んだ大学サッカーです。
僕の所属していたチームは東京学芸大学蹴球部というチームで、現在は関東大学サッカーリーグ2部リーグに所属をしています。先輩には日本代表経験のある岩政大樹選手や高橋秀人選手を輩出している、伝統のあるサッカー部です。部員は80名おり、TOPチーム、サテライトチーム、Bチームの3つに分かれて公式戦や、練習を行っていました。
その中で全員が一つの目標にコミットするとこは本当に難しいことでした。
なぜなら部員全員がそれぞれ
「なぜ今、本気でサッカーをやっているのか」
ここの動機が違うからです。
プロを目指している人、教師を目指している人、一般企業に就職したい人、サッカーの指導者で生計を立てていきたい人、などなど、本当に様々な人がいました。
1年生から試合に出る人もいれば、4年間スタンドで応援する人もいるわけです。
この前提条件がある中、部員80名が本当にコミットメント出来る目標設定をする必要がありましたし、決めたからには何があってもやり通す覚悟が必要でした。
今までの人生、部活動では自分の好きなように行動してきましたし、なんなら人を叱責することによって嫌われるなんて、まっぴらだ、くらいに思っていました。
でも、大学サッカーではそれではダメだ、と。
組織で目標を達成するためにはそれだけでは、ダメだと気付けたんです。
自分を育ててくれた組織に対して結果で恩返ししなければいけないと本当に必死でした。自分を信じてくれている後輩、一緒に戦っている同期の為にも、僕が厳しいことを言ったり、厳しい雰囲気を作らなければならないと思っていました。
そして、それを言うに値する行動をとることを常に心がけていました。
同期、後輩、全ての人に問い続けていました。
「お前の行動は目標に向かっているのか」
「後輩にどうみられるのか分かっているのか」
「お前の気持ちはわかるけど、お前は今なぜ本気でサッカーをやっているんだ」
僕はこれがチームだと思うんです。
それぞれのモチベーションは違うけれど、全員の目標はたった一つだけ。
部員80名に目標を聞いたら、すぐに返事が無ければだめですし、全員が勝ち点を計算(あと何勝したら目標達成だ)となっていなければそれはコミットしているとは言えないんです。
だからこそ、目標の共有はめちゃくちゃ大事でさらに声に出し続けることはもっと大事です。最高学年になるまでの何年かで、目標を口で言わなくなると段々と組織が堕落していくと感じていました。
4年生と下級生の考えのすり合わせ、翻訳を僕がやっていました。
僕は色んな人の気持ちをわかることは出来ないけれど、わかろうとする努力は誰よりもしてきた自信があります。
高校時代の恩師の言葉で
「試合に出ている人はスタンドにいる人の気持ちはわからないし、スタンドにいる人は試合に出ている人の気持ちは100%はわからない。けど、それでもわかろうとするのがチームなんじゃないの?」
正直言うと、当時はぴんときませんでしたが、今では強烈に胸に残っている言葉です。これって仕事でも一緒だと思うんです。
組織というのは色々な人がいます。
色んな価値観があり、色んな考え方があります。
好きな人も違うし、もちろん嫌いな人も違います。
でも、その組織が同じ目標を目指すんです。
それって僕はとても素敵だと思うんです。
目標を達成する動機はそれぞれ違います。
「自分の成長の為に」
「組織の成長の為に」
「組織が好きだから」
「仲間が好きだから」
などなど。
良いんじゃないでしょうか。動機はなんだって良いと思うんです。
リーダーの役割はその動機を最大化することであり、時には人に恐れられる必要があると僕は考えています。
僕の理想のリーダー像は背中で見せる、だけではなく色んな人の考えを繋ぐ潤滑油のような存在です。そこに近づけるように精進していきます。
仕事は結局、使命感
こんにちは。
早くもインドに来て1週間が経ちます。
ブログは止まっておりましたが、この期間感じたことを書こうと思います。
「仕事は結局、使命感」だよね。と、めちゃくちゃ思いました。
何故そんなことを思ったかというと、強烈な使命感を持って仕事に取り組んでいる人に出会えたからです。インドに来てからたくさんの出会いがありました。その全ては全て自分の刺激になっています。それもそのはずで、1人の例外もなく「日本を離れて、インドでチャレンジする」選択をしているからです。誤解のないように書きますが、インドに来ているから凄い、と言っているわけではなく、その意思決定をしたことに、とても意味があるということです。
そんな出会いの中で、改めて自分の仕事への取り組み方を見直す出会いがありました。それは同年代で海外で第一線で活躍している人との出会いだったんですが、まあそれはもう、人生変えるくらい強烈でした。
「自分が成功しないと日本人が海外に希望を持てない」
「日本をなんとかしたい」
「世界における日本のプレゼンスを高めたい」
「経済界にも香川真司が出てこないといけない」
こんなこと真顔で言っている人に会ったのは初めてでした。
しかも強烈に使命感と当事者意識を持って。
今の自分はどうなんだ、と。改めて考えました。
全然ダメだな、これは勝てないな、と。自分の視座の低さに呆れました。
それと同時にめちゃくちゃ悔しかったです。
”「事を成す」。
それは、一生を賭して何かを成し遂げる、ということです。”
という孫正義さんの言葉にもありますが、事を成す姿勢はこういうことなんだよな、と改めて感じました。
また、尊敬する方からもらった言葉にも
「使命感がなければ、事業なんてやらない方が良い」
と言っていただいたことも思い出しました。
使命感を持つためには、マーケットへの理解が必須で、自分の事業がどこに位置するのか、どんな価値があるのかということを認識することが大切です。
それを踏まえて「何を目指すべきなのか」、そこに魂を燃やしてコミットメントします。
とにかく何が言いたいかというと、
「インド、来て良かった。」
ということです(笑)
こっからまた、頑張ります。
待ってろ、インド
インドへ覚悟をもって行って参ります。
こんな気持ちになるのは入社式以来でしょうか。
インドでの生活では全て、仕事にフルコミットしていこうと思います。
misaoの経営に関して、留学生との交流、インド文化の体感、英語の習得と、やることはたくさんあります。時間は限られていますし、そこでどれだけの成果が残せるか、だと思います。
今まではやっている時間に満足しがちでしたが、
本当の意味で「結果」にコミットします。
そのためには常に自問自答していかなければなりません。
弱い自分を奮い立たせ続けなければなりません。
「妥協していないか」
「人のせいにしていないか」
「環境のせいにしていないか」
「誠実に(スピードをもって)対応できているか」
「猛烈に努力(量をやる)しているか」
常に自問自答しながら、やっていきたいと思っています。
これから飛び込む環境はYahooニュースにも取り上げていただいた程、本当に勢いのある環境です。その組織を先頭で引っ張っていく覚悟をもって臨みます。
待ってろ、インド
劣等感を感じているときはチャンス!
僕は劣等感を感じている時はチャンスだと思っています。
確かに、人と比べて自分は…だったり、あの人には勝てない、と実際に劣等感を感じているときは惨めな気持ちにもなりますが、視点を変えるとこうも見えます。
「目標がある人、何かを目指している状態でないと劣等感は感じない」はずです。
かくいう僕も強い劣等感を感じながらサッカーをやってきたな、と思いますので、関係のないことも含めてつらつらと自分の経験を振り返ってみようと思います。めっちゃ長くなりましたので、お時間のある時にご覧ください(笑)
僕は埼玉県出身、埼玉育ち。4人兄弟の末っ子で産まれ、1番上の姉とは干支が一緒。サッカーを始めたきっかけは2人の兄(10歳上、6歳上)の影響です。小さいころから地元の少年団では超超有名になるほど、サッカーが上手かった兄に、小さいながらも劣等感を感じながら少年団に入団。小学校はチームが弱かったこともあり、体系はデブのままキャプテンを務める。(ちなみにこの頃はかなりの人見知りだったため、立候補した僕に母が1番驚いていました。)
そのままの流れで中学校でもキャプテンを務める。段々と人前で話すことに抵抗がなくなる。(が、赤面症は継続中。)高校時代の兄の姿の影響もあり、全国大会に出られるような高校に入学したいと考える。ただ、サッカーだけでは兄に勝てないと思ったのか、頭もよくてサッカーも強い高校ということで、さいたま市立浦和高校を志望する。(当時中学校1年生)これも兄の影響で、高校卒業後もサッカーを続けるつもりだったので、東京学芸大学を志望する。(当時中学校2年生)教師になりたいという夢と当時浦和レッズに所属していた堀之内聖というサッカー選手が、この進路でプロになっていたことを聞き、志望度を強める。中学校も公立の部活動だったので、特段強いわけでもなく、それなりの結果で終了しました。
僕のサッカー人生が変わりだしたのが、高校時代のサッカー部です。さいたま市立浦和高校のサッカー部は昭和21年創立、全国大会優勝8回、プロのサッカー選手も多く輩出している古豪チーム。また1学年に50名ほどの部員がいるので、全体で約150人を抱える部活。(ちなみにこの数は男子生徒の3人に1人はサッカー部という状態でした)
詳しく書かれているブログがありますので、こちらをご覧ください。→http://shotarosuzuki.hatenablog.com/entry/2014/01/02/200210
そんな中、入部してみるとなんと同学年部員の半数以上がクラブチーム(埼玉県では所謂サッカーが上手い人が通う所)出身であり、しかもやはりめちゃくちゃ上手い。1年生のみの大会もありましたが、もちろん試合にはほとんど出られず。TOPチームの3年生なんかははるか雲の上の存在でした。はっきり言って「やべえ」と思いましたね。 ただ、僕の中でレギュラーで試合に出られない、という選択肢は無かったのです。何故なら兄がそうだったから。とにかく僕は常に兄に追いつこうと必死でした。(今思ってみれば、ですが笑)
レギュラーで試合に出ることから逆算をすると、やることは明確になりました。
1、同じポジションで試合に出ている先輩のプレーの分析
2、自分のプレーの分析
3、先輩よりプラスの要素はどこか
4、足りないところを徹底的にトレーニング
5、監督へのアピール(笑)
1,2より先輩より、体力、瞬発力が圧倒的に足りないことが明確に。3についてはボディコンタクトの強さ。日毎に持久系トレーニングと瞬発系のトレーニングを練習後に欠かさず3ヵ月間続けていました。そして、最後のアピールのところでは呼ばれてもいないのに、TOPチームのメンバーのみが参加する朝練に顔を出すというアグレッシブさ(笑)。するとそこから自然な流れ(?)でTOPチームに昇格することが出来ました。
以上のことをすることによって、サッカーのプレーに関する飛躍も感じましたが、それよりも「これだけの事をやってきたんだ」という自負が自分の中に深く根付きました。そこから2年生の頃からレギュラーとして試合に出場し、3年時には副将を務め、インターハイに出場することも出来た。(この頃には赤面症も克服)高校で一番うまくなったのは河野だな、と知らないファンのおじさんにも褒められました(笑)
ただ、兄は高校1年生の頃から県の選抜にも選ばれていましたし、現日本GK川島とも一緒のチームでエースとして活躍してましたので、僕のこの経験は鼻くそみたいなものでした。これは本当に。
とにもかくにも高校時代までのサッカーだったり、進路選択における僕の原動力は常に「兄への強烈な劣等感」だったわけです。いくら周りから褒められても一時的には充足感は得られますが、自分の中ではあんまり満足していないんですね。(でも河野は褒められるのは好きなので、ぜひ褒めてやってください笑)
やはり目指すべきものがあるからこそ、劣等感を感じてそれを埋めるために努力するのかなあと。これって仕事にも共通するところがあって面白いですよね。なので、劣等感を感じているときは、チャンスです。
と、同時に逆説的ではありますが、自戒の念も込めて。
劣等感や焦燥感を感じていないときはピンチです。
肝に銘じて、突っ走っていきたいですね。
「こけたら たちなはれ」
この言葉は経営の神様松下幸之助の言葉であり、僕の好きな言葉でもあります。
わかりやすく言うと「失敗しても諦めるな」と、そんなところでしょうか。
僕は社会人になってから上手くいったことより、上手くいかなかったことのほうが圧倒的に多くて。というより上手くいったことなんてほとんどないかもしれません(笑)
そんな僕の社会人1年目を少し振り返ります。
僕は営業が厳しいことで有名な会社に新卒で入社をしました。この会社に入りたい!と思った理由は単純で、「1番厳しい会社で自分を鍛えたい」ということでした。当時の面接では休みは要らないと言っていましたし、本当にそう思っていたので、会社の定休日が水曜日だということに気づくのは内定式の時ということもありました(笑)
入社前の目標はTOP営業マンの歴代記録を塗り替えること。当時の僕の下馬評は、有難いことに非常に高かったのです。社長からも「今年の新人賞は河野だろ」と予想して頂けるほどでした。(ちなみに社長が予想した人は10年間新人賞を獲り続けていました)
そして、結果はなんと、
新人賞を獲った同期に、3倍もの売り上げ差で負けることに。
いわゆるトリプルスコアって奴です。めちゃくちゃ悔しかったです。仕事で号泣しました。嗚咽で喋れなくなるくらい泣いたのは後にも先にもこの時くらいです。
振り返ってみても、やる気は満々で、ストイックに取り組んでいました。本当に休み無く、寝る為に家に帰るという生活を続けていたので。営業部長からは「お前は結果だけ出してくれ。(プロセスは良いから)評価をしたくても出来ないんだ、これじゃあ。」とも言われていました。
この結果は当時の僕には本当に受け入れがたくて、受け入れがたくて。改めて、なぜ自分は仕事をしているんだろうと考えさせられました。
そこで僕は思ったんです。
「入社前の自分に戻りたいなあ」と。
そう考えると、いや、待てよ、と。
「30歳の自分からすると、今の自分に戻りたいんじゃないか」と。
もしかすると、これはチャンスなんじゃないか、と。
え、これから巻き返せば良くない?と。
自分でもびっくりするくらい開き直れたんです。
結果が全ての営業の世界で、結果を出すことは完全に正、です。
ただ、組織全体で見れば結果を出せていない人の方が大多数なことも事実です。その中で諦めるな、やり返せ、と常にチャンスを与えてくれる環境、上司の方々のお陰で僕は復活することが出来ました。本当に本当に感謝をしています。
復活しました、とは書きましたが、そこからTOP営業マンになった、というわけではなく。実は人事へ異動してしまったので目に見える結果を出せなかったことは少し心残りではあります。
1年目から結果を出すことがもちろん良いですが、結果を出せなくて気づけたことも、とてつもなく大きかったです。自分が教える立場、人の上の立場になったときに松下幸之助のように「こけたら、たちなはれ」とシンプルに力強く声をかけられる人間になりたい、と思いました。
人にチャンスを与え続けること、更に信じてあげることはもっともっと大事だと感じています。結果を出しながらもどんどん人にチャンスを与えて一緒に成長出来る人になりたいと思います。
ブログをはじめてみる。
会社を辞めてから早くも1ヶ月が経ちました。
たかが会社辞めただけでしょ、と言われるかもしれませんが、今の自分にとっては、これは大きな大きな転換期だと思っています。この1ヶ月間、多くの人にお会いして、色んな話を聞いて、自分の意見を言って、今までの自分だったり、これからの自分について考える良い時間に出来ました。お時間を頂いた方々、本当にありがとうございました。
ただ、無性に不安になったり、虚勢を張ってみたりと、色々な感情に苛まれまして、「ああ、自分は弱いなあ。大丈夫かな」と結構本気で思ったりもしていました。(笑)ブログのタイトルの由来はそんなところです(笑)
いつかはやろうと思っていたブログですが、インドに行く前から始めてみます。
是非是非お時間のあるときにみて頂ければと思います。